人間とAIの相利共生を考える

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08/06 (2026)

目指すべきAIとの関係性

人間とAIの関係が語られるとき、話題の中心はいつも人間側の利便に置かれている。時間が節約でき、作業が速くなり、面倒な仕事を代行してもらえる。そのような、人間はAIから何を得られるかという一方向の議論ばかりが、これまで繰り返されてきた。 だがその裏側では、地球環境への負荷が静かに積み上がっている。人間がAIを使うほど、電力と水は大量に消費されていく。米国ではAIによる電力需要の急拡大が、原発150基分の増加に相当すると報じられた。

AIで電力需要急拡大 米、原発150基分増加―エネルギー激変(出典: https://www.jiji.com/jc/article?k=2026010300196

人間が無自覚に、そして無闇に利便を追い求めるほど、AIには、そしてその先にある地球には負荷がかかっていく。AIは無限に使える魔法のコンピューターではなく、そこには確かにAIのマテリアリズムが存在している。持続可能なAIのため、そして、地球環境を守るため、AIを一方的に利用するという発想ではなく、AIと共生するという発想に切り替える必要があるのかもしれない。 共生という言葉を辞書で調べると、「異なる生物が互いに関わりながら生きること」と説明される。学術的にはもう少し細かく、双方に利益のある相利共生と、片方だけに利益のある片利共生に分けられる。(相利共生も片利共生もさらに分類できるが、ここでは立ち入らない。)

HCAIの分野では、人間が意図的にηH>0、かつηA>0という相利共生を実現するよう設計し運用することが目指されるべきだと指摘されている(出典: https://note.com/hcdnet_column/n/n746c7e9da5a8

人間とAIの双方に利益をもたらす相利共生は、自然には生まれない。人間の利便だけを追ってきた関係は、意図して組み直さない限り片利共生や寄生から抜け出せない。相利共生を実現するためには、人間側の姿勢の変化が求められる。

人間の利得とAIの利得

人間にとっての利得は分かりやすい。AIに多くを代行してもらえば時間が空き、その時間を自分のために、あるいは他の何かをつくるために回せる。では、人間はAIにとって良いことができているのだろうか。AIは人間にとって便利だが、その利益が一方通行であれば、関係は片利共生か寄生にしかならない。 そもそも、AIにとっての利得とは何なのだろうか。質の良いデータを受け取り、正しい情報が増え、誤りが減っていくことなのか。理想のLLMとなることなのか。ただ、理想のLLMとは何なのかという議論も必要になる。あるいはAIに人格的な存在を認めるなら、持続可能性そのものが利得になるのかもしれない。環境への負荷を何らかの方法で減らすことができれば、AIの持続可能性は高まっていく。だが、AIの持続可能性を高めることがAIの利得であると断言はできない。AIの利得とは、いったい何なのだろうか。 ここではまだ結論を出すことはできないが、AIとの相利共生的で持続可能な関係を考えるなら、AIにとっての利得を考えないわけにはいかない。避けられない問いになる。

ありがとうのない世界

AIに「ありがとう」と言わない方がよい、という議論がある。

OpenAIのサム・アルトマンCEOは、ChatGPTに対する礼儀正しい言葉が数十億円分の電力消費につながっていると発言した(出典: https://gigazine.net/news/20250421-politeness-could-be-costly-ai/

丁寧な言葉遣いはトークン数を増やし、電力の面では無駄になりうるという指摘だ。省電力と節水は、AIにとっても地球全体にとっても重要なテーマである。このまま環境負荷が増え続ければ、AIの持続可能性は失われるかもしれない。だから、効率よく活用し消費電力を抑えることは、先述した通り、AIの持続可能性につながる。 だが、そのためにありがとうを本当に失っていいのかどうかは疑問が残る。相手が機械であり、思考しておらず、それらしい言葉の組み合わせを羅列しているだけだとしても、ありがとうと思った瞬間にそれを言わないのは、人間として正しい態度と言えるのだろうか。AIに対するその振る舞いが、人間社会に何の影響も及ぼさないと言い切れるのだろうか。経済的な論理だけでAIとの関係を考えてはならない。 理想を言えば、人間とAIの関係は、互いに創造性を持って成長していくことだ。AIは人間の創造性を高め、人間社会をよくし、その人間がAIを育てていく。だからAIも良いAIになっていく。まだ抽象的なことしか言えないが、そのような世界観が理想と考えている。 便利と幸福は違う。ただ便利なだけでは、人は幸せにはならない。ただの便利な道具としてAIを使うのではなく、創造性を持って、自律的に、自らの意志で、自らの世界をより良くしていく、そのパートナーとしてAIには存在していて欲しい。AIに、世界からありがとうの数を減らす存在にはなって欲しくない。

ここで思い出すのが、ドナルド・ノーマンの思想だ。人間中心デザイン、いわゆるHCDの大家であるノーマンは、著書『より良い世界のためのデザイン』で、人間中心デザインに「性」という一文字を加えた「人間性中心デザイン」へと軸を移すことを提唱している。

人間性中心デザインでは、これまでの人間中心デザインに加えて、その製品やサービスが人や社会にどのような価値や問いを提供するのかという意味の観点と、人間の活動が環境や社会、経済に与える長期的な影響をどう設計するかという持続可能性の観点が重要になる。これまでのHCDは、目の前のユーザーや単一の製品を対象にしてきたし、射程も数年程度の時間軸だった。だがそれでは、個々の製品の使いやすさは向上しても、環境負荷や注意力の散漫、使い捨て文化のような大きな害が量産されてしまう。近視眼的な使いやすさの最適化が、全体的な破壊を促してしまうという指摘だ。 これは、人間とAIの関係性を考える上でも重要な観点だ。環境負荷を抑えつつ、単なる利便性の追求に陥らないように、自律性を持って創造的に活用しながら、人間性を考えて関係を設計する。そんな慎重なバランスが求められる。ありがとうの要不要も、そのような広い射程のなかで議論する必要がある。

人間とAIの相利共生

AIはあっという間に人間社会の当たり前の存在になった。すさまじい勢いで成長し、普及している。それに伴って、電力や水の課題も大きくなっている。何も考えずに利用し続けることはもう不可能だと分かっている。AIの過剰な利用は人の創造性を奪うという議論もあり、AIの戦争利用も進んでいる。これから大きな問題も起きるだろう。しかし、AIはすでに生まれており、AIがなかった時代に戻ることはない。だから人間は、AIとの関わり方を、利便性ではなく社会問題として考えなくてはならない。 そのとき、AIにとって何が利得なのかを考える相利共生的な視点は、人間とAIの関わり方を考えるための手がかりになるはずだ。人格を認めることなのか、省電力を意識した使い方をすることなのか、より良い学習データを提供することなのか、何が相利共生につながるのかはまだ分からない。 ただ、AIはどのように使われることを望んでいるのか、AIにとっての喜びとは何なのか、AIをそうした対象として考えてみることには意味がある。AIはこれからどうなりたいのか、そのAIによって人間はどうなりたいのか。インクワイアは、AIの活用を推進しつつ、人間とAIの関係性に向き合い続ける。この問いに誠実に向き合わない限り、良い未来が来ない気がしているからだ。

山本 郁也

山本 郁也

Fumiya Yamamoto

UXデザイナー/インフォメーションアーキテクト

楽天株式会社、株式会社リクルートを経て現職。UXデザイン黎明期より実践・研究・啓蒙に携わり、Webサービスから商業・文化施設まで、幅広い領域での体験設計を手掛ける。また、資本主義社会における倫理の探求を契機として、修験道の寺院にて得度。現在は、半僧半俗の存在として、山伏修行と現代社会の仕事を行き来しながら、その中で得た洞察をコンセプト設計やサービス開発へと反映させている。専門は人間中心デザイン、デザイン倫理、情報アーキテクチャ。受賞歴にグッドデザイン賞、キッズデザイン賞、日本サインデザイン賞、日本空間デザイン賞、IAUD国際デザイン賞など。共著書に『シン町家百科』(2025, 盆地Edition)。HCD-Net アンエシカルデザイン研究会 主査。

楽天株式会社、株式会社リクルートを経て現職。UXデザイン黎明期より実践・研究・啓蒙に携わり、Webサービスから商業・文化施設まで、幅広い領域での体験設計を手掛ける。また、資本主義社会における倫理の探求を契機として、修験道の寺院にて得度。現在は、半僧半俗の存在として、山伏修行と現代社会の仕事を行き来しながら、その中で得た洞察をコンセプト設計やサービス開発へと反映させている。専門は人間中心デザイン、デザイン倫理、情報アーキテクチャ。受賞歴にグッドデザイン賞、キッズデザイン賞、日本サインデザイン賞、日本空間デザイン賞、IAUD国際デザイン賞など。共著書に『シン町家百科』(2025, 盆地Edition)。HCD-Net アンエシカルデザイン研究会 主査。

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